極楽浄土の顕現。
「平泉」

平泉が日本第二の都市だった時代

平安時代末期から鎌倉時代初めにかけて、平泉は京都に次ぐ人口を抱える都市だったとも言われています。当時この地を治めた奥州藤原氏は、豊富に産出する砂金を基に独自の文化を発達させ、相次ぐ戦乱の犠牲者が敵味方の区別なく浄土に往生できるようにと数々の寺院を復興・建立し、平泉を浄土にしようとしました。

浄土思想の考え方に基づいて造られた平泉・毛越寺の庭園。

栄華の象徴 金色堂

世界遺産・平泉にある最も有名な建物と言えば中尊寺金色堂。創建当時の姿を唯一残す建造物で、覆堂に守られた金色堂は内外共に総金箔貼りで仕上げられております。装飾・細工も象牙や宝石が用いられており、当時の栄華がしのばれます。堂内には繁栄をもたらした奥州藤原氏四代の遺体が安置されています。

平泉で創建当時の姿を唯一残す建造物中尊寺金色堂。

庭園から感じる浄土思想 毛越寺

毛越寺は中尊寺と同じく平泉にある寺院で、仏教・浄土思想の影響を色濃く受けた浄土庭園があったことで知られています。発掘調査によって全容がほぼ解明され造営当初の姿に復元されており、日本最古の作庭書「作庭記」の思想や技法を今に伝える貴重な庭園として美しい姿を見ることができます。

毛越寺の浄土庭園。

足を延ばして 四寺廻廊

中尊寺・毛越寺に加えて宮城県・松島の瑞巌寺、山形県・山寺の立石寺を加えた四つの寺院は9世紀の僧侶・慈覚大師円仁が開祖と言われています。平泉が世界遺産に選ばれた理由は、日本独特の仏教の一つの極致であるからです。 松尾芭蕉も巡った四つのお寺を巡り、みちのくの仏教文化を深く知るのもよいのではないでしょうか。

山寺・立石寺の開山堂と納経堂からの眺め。



東北のおすすめツアーへ

TOUR
あなたにおすすめのツアー

もっと見る

STORY
その他のストーリーを
チェック

TOPに戻る

※写真はすべてイメージです